ハイジの枕草子的備忘録

一介の女子大生がスイスからお届けします.

人間と、芸術と、引き続き言葉の話。

 先日、ずっと見なければと思っていた映画「君の名前で僕を読んで(原題:Call me by your name)」をついに観た。

 アカデミー賞にノミネートされたこの作品は、同性愛を題材としたラブストーリー。目を引くトピックなので、ネットを見る限りどうしても皆そこに焦点を当てがちだ。何を隠そう、わたしが見ようと思ったのもジェンダーへの関心がきっかけ。

    しかしいざ作品を見てみると、わたしの心に浮かんだのは、同性愛やジェンダーについてより、

「他人に対して真摯に向き合うこと、他者との交流を心から享受すること、というのは、なんて難しくそして美しいことなのか」

ということだ。

 実は、これはわたしがここ数年間、実践しようとしてきたことだった。根暗のわたしにはハードルの高いチャレンジだけど、客観的にはともかく主観的には明らかに効果が出ていて、「他者との交流の享受」がいかに楽しく喜ばしいことなのか、特に留学前はありがたいことに毎日のように感じていた。(楽しむと享受するが同じ単語で表せるのは、英語の最も優れた情緒表現のひとつだと思う。)

 

 では、「他者との交流」って具体的に何だろう、と考えたときに、よく小学校で言われる「言葉のキャッチボール」という言葉、もしかしてこれなんじゃないか?と思ったのだ。

 当時はあまりに安直な表現で好きではなかったのだけど、実はめちゃくちゃ的を射た言葉なのではないだろうか。

 

 キャッチボールという行為は、細分化すると投げる」と「キャッチする・受け止めるのたった二つの動作だけでできている。

 つまり、これらがいかにうまくできるかが、他者との交流を円滑にはかること、言い換えれば、「他者をどれだけ尊重できるか」なのではないか。という仮説だ。

 

 

 それでは、具体例を見ていこう。

 出だしからなんだが、最初は失敗例だ。主役は他でもないわたし、しかも日々起こる。

  わたしが滞在しているスイスのジュネーブはフランス語圏。しかし、わたしは大学でも独語選択で、フランス語は全くの駆け出しだ。

  公用語のわからない地域にすでに二ヶ月半も住んでいて、案外何とかなっているわけだが、当然困るときもある。

 大学で仏語を話す状況はほぼないが、住んでいれば道を聞かれたり、スーパーで話しかけられたりと「全くわからない言葉で滔々と話しかけられる」という状況がしばしば発生するのだ。

 これが本当に慣れなくて、あたふたとSorryを連発してしまう。すると、アアごめんね、と相手は何だか知った顔つきになって去っていく、これをもう数えられないくらい経験した。これだからアジア人は、とか思われてるんだろうな、とつらくなりながら帰宅する。

 

 さて、この一連を先ほどのキャッチボールに当てはめて考える

 話しかけてくる人間は、わたしに向かってボールを投げる行為が完了している。この場合、非は完全にわたしの方にあって、仏語ですらない言葉とジェスチャーのみで「わからない」ということだけを伝える、という無様な有りさまなわけだ。

 仏語ですらすら答えようとは言わずとも、これでは全くキャッチも投げ返しもできていない、いわゆる失敗例と言えるだろう。

 

 

 二つ目は、成功失敗は人それぞれ、その場合によりけりだが、普遍的にキャッチするのが難しい例だ。

 英語の訛り、というのは、世界中の人間が頭を悩ませる問題である。

 そして、わたしが今いる、世界でも稀に見る多人種国家のスイスでは、それが非常に顕在化して現れている。英語の発音や訛りについて考えない日はないくらい。

 

 スイスの公用語は主に独仏伊。まず、ドイツ語話者の英語は超綺麗だ。ドイツ語が母語の人は自分の言葉がいかに国外で話されないかをよく知っていて、皆まるでネイティブのように英語を話せる。(日本人も見習いたいところ!)

 問題は残りのフランス語、イタリア語。全く訛らない人も勿論たくさんいるが、そこそこの遭遇率で聞き取りづらい人に出会う。

 このわからなさを日本語の文章で伝えるのは無理難題だけど、仏語については少し頑張ってみる。分析したところ、フランス語には英語をうまく発音するのを阻害する特徴をいくつか持っていて、

①単語の末尾を読まない(許せない)②次の言葉と繋げて読む(リエゾン)③母音を基本的にそのまま発音する(chocoladeはショコラーデ、というように)

など。英語を話すときにもこれらの特徴を引きずってしまうようだ。althoughをアルソー、foreignをフォレインと言ったり、〜sationで終わる単語は全て「ザシオン」。なかなかにやりたい放題だ。極東の我々でさえゼイションくらい言えるぞ。

 

(実際聞きたい方がいたら、この動画の後半部は結構的確だと思います(米国内の差はよく知らないのでわかりませんが…)面白かったので是非。)

www.youtube.com

 

 わたしの生活の中で一番やばいのは、イタリア人教師の講義。そして、わたしが1週間のうちに話す人間の中には仏語話者以外にも、中国人、ロシア人やアフリカの地域語話者がいたり。皆さまざまな発音で同じ言語を話す。

 で、これに関して当然話題に上がることは多いわけだが、反応は様々だ。訛りを嫌悪したように話す人から、面白いよね〜程度の人まで。

 

 これをキャッチボールに当てはめるとすると、皆さんはどう考えますか?

 訛りが強くて理解しづらい英語、投げ手の力不足か、受け手のキャッチ力不足か。

 

 どっちでも言えると思うけど、これを投げ手の力不足、と言える人間は、よほど自分の英語が訛ってない自信があるのだな、とわたしは思ってしまう。

 むろん、自分に関しては訛りを矯正すべく努力すべきだけれども、他人にそれを求めるのは、個人的にはエエどうなの…と感じる。

 

 「投げようとしている意思」がある以上、それは「投げる」行為が完遂されたと見るべきだし、それこそが、他者を尊重すること、優しくあること、多様性を認めること、なのではないかと思うのだ。他者の尊重を前に"正しい"発音って必要なんだろうか?

 なんなら個人的には、「いろんな出自を持つ人々が、それぞれの発音で、同じ言語を話している」ということにエモさすら感じてきゅんとしてしまったりする。

 

 ということで、わたしはこれをキャッチ力不足と捉える覚悟を決め、イタリア人教師の授業は全て録音し、たまに聞き返すようになった。

 するとどうだろう、「あ、このフォレインはforeignなんじゃないか」と言った具合に、なんだかだんだんわかってくるのだ。慣れの力である。

 つまり、「キャッチ力が慣れによって磨かれた」ということだ。

 

 

 三つ目。日本の話。

 最近、ツイッターで回ってきた、「日本人が、日本語があまりうまくない外国人労働者に対して対応がひどい」という旨の記事を読んで、久しぶりに憤慨した。

 そもそも、日本語なんつーマイナーな言語を勉強してくれているだけで有難うございますではと言いたくなるが、「日本で働いているのだから当然」という一理あるカウンターが予測できるので、さっきのキャッチボール理論を当てはまることでもう一歩踏み込もうと思う。

(日本語をばかにしたいわけではないので註をつけるが、わたしはこれだけつらつらと日本語を書くのが楽しくて仕方なくて、バイトで現代文を教えていたくらいこの言語が好きだ。)

 

 さて、ここで外国人労働者の彼らは、拙いながらも日本人に対して日本語で言葉を投げかけている。これは完全に「投げる」行為の完了と見てよいし、日本語学習という前ステップからは日本への敬意さえ伺える

 ところがだ。ここで「店員の日本語が下手だ!」と怒り出す日本人の、なんと器の小さいことやら。ボールを受ける気すらない。ママが差し出した手を握らない、反抗期の幼稚園児レベルじゃないだろうか。相手の日本語が下手と見た途端タメ語になる人たちもまた同じ。

 しょうもない話だけど、まず「キャッチする気を起こす」というステップがあるのだな、と気が付いた例であった。

 でも、世間見渡すと意外と同じようなことが起こっている気がして、他人事じゃないなと思う。なんなら、逆はしばしばある。知り合いでもない若者にめちゃくちゃタメ語で話しかけてくるおじさん、ろくに投げる気ないですよね。

 

 

 歳を取ってもこうはなりたくないなあ、と自戒。

 帰国したら、最寄りのセブンで働いているベトナム人の店員さんに、もっとちゃんと笑って挨拶をしよう。

 

 

 最後の例は、言葉から離れてみたい

 ジュネーブ大学では11月に、Reading weekという名の「勉強のためのおやすみ」があったのだが、留学生にとっては絶好の旅行日和。そのとき出かけた、スイスのルツェルンという街で立ち寄った美術館での一幕である。

(ちょうど現在、あのとき勉強しておけば、と1000ページ以上積み重なったリーティングを見ながら後悔していたりするが、時すでに遅しだ。)

  

 ローゼンガルト・コレクションというその美術館は、ピカソと、パウル・クレーというスイス出身画家の絵を多量に展示していた。

 キュビズム画家の作品をまとめてみる機会もなかったので意気揚々と出向いたが、いざ大量のピカソ、クレー作品を目の前にすると、圧倒されるとともに、なんとも無力感に苛まれた

 ピカソはまだ、ご存知のとおりよくわからない線や色がたくさんあるが、一応どこが人間で、何を描いた作品かは理解できる。

 問題はクレー。

 見て頂ければ一目瞭然だが、何が何やらまじでわからん。

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クレーの作品(1929)

 いや、綺麗なんだけど。綺麗だけど、これはなんだ。

 まあ人生を振り返れば、キュビズムなんて明らかに守備範囲外。受験のときに理念と著名な画家を暗記しただけの知識。本物を目にすると、それがいかに生きた教養でないかを思い知った。

 初期から末期まで、1階分を埋め尽くすだけの作品群を見ても、あまりにも理解できる部分が少なくて。

 「芸術鑑賞は芸術家との対話、想像を膨らませることが大事」というのは好きな考え方ではあるのだけど。それでも、きっともっと事前に勉強していれば拾えたことがたくさんあったのだろう、と思うと悔しかった。

 

 さて、ぽろっと出したが、芸術鑑賞は芸術家との対話である、というのは、何処かで読んだ言葉だが、読書は作者との対話である、と同じくらい大切にしている。

 対話ということは当然キャッチボールであり、芸術家は人生を賭して作ったものを通じて、わたしたちに語りかけている、つまり、ボールを「投げて」きているのである。

 それをいかにキャッチするかは、(想像で補えるとはいえ)受け手であるわたしたちの能力値次第というわけだ。しかし、わたしはこのとき実力不足で見事おおかたキャッチに失敗したのである。

 これは結構わたしにとって鮮烈な経験だった。知識不足が原因で世界の解像度が下がるのがいかに悔しいかを知った。

 

 

 さて。幅広く話が広がってしまったわけだが、以上四つを踏まえた今日の結論は、「キャッチ力」は自分次第で上げられる、ということ。

 勉強をすれば、訛りに慣れれば、自分が理解できる範疇が増え、他者(時には時代を超えた…)とのキャッチボールの成功確率を上げられる

 このキャッチボールの成功は、すなわち「他者との交流の成立」、そして、ボールを投げてきた「相手を尊重すること、敬意を払うこと」を意味するのだ。

 つまり、学びによって自分の知識を増やし、考えを深めることは、他者との深い関わりと敬愛を形作ることと直結しているのである。

 実は、わたしは長いことこの二つを繋げて考えられずにいた。自分は根暗だから前者は得意だけど、後者は苦手、と分けて考えていた。でも、よくよく考えてみるとこの二つは大いに繋がっていて、これらの相乗効果で人生が豊かになっていくと思うのである。

 

 

 ここで冒頭の映画に話を戻そう。

 1983年夏、主人公のエリオは、北イタリアの避暑地で、大学教授である父のアシスタントとしてやってきた博士課程のオリヴァーと出会い惹かれあっていく、というのが大まかなストーリー。

 だが、この主人公のスペックを見てほしい。

 以下、wikipediaから引用。エリオは、アメリカの名門大学で教鞭をとるギリシャ・ローマ考古学の教授と、何ヶ国語も流暢に話す母親の一人息子だ。アカデミックな環境に育ったエリオは、他の同年代の子供に比べて、文学や古典に親しみ、翻訳(英語、イタリア語、フランス語を流暢に話す)や、音楽の編曲を趣味にする(ピアノとギターを弾く)など、成熟した知性豊かな子供に成長した。

 

 こんなのチートモードだ。

 学問、文学、芸術にたくさん触れることは、最後の絵の例とも通ずるけれど、その知識及び作品を作り上げた人物とのキャッチボール、ということができて、つまり、「過去の人類が積み上げてきた遺産を引き継ぐこと」と言い換えられる。

 

 基本的に自分ひとり分の人生しか生きられないわたしたちが、ひとり分以上に人生を豊かにしようと思ったら、

①今生きる他人と交流するか、

②過去の膨大な数の人類がそれぞれ人生かけて積み上げてきたものたちを享受するか、

この二択しかない。

 そして、これらによってキャッチ力は磨かれ、世界の解像度が上がっていくと思うのだ。

 

 そう考えると、この映画の主人公は生まれからキャッチ力の権化。作中、オリヴァーも「君が知らないことはあるのか?」とこぼす。

 登場人物たちの知己に富んだ会話を聞いていても、ああ、このふたりの関係性は両者の知性と教養あってこそなのだな、と感じて、なんだかまた悔しくなる。

 

 彼らみたいになりたいなんて贅沢は言わない。でも、世界の解像度を上げるために、他者とより深く関わるために、キャッチ力の幅を広げる努力を惜しみたくないなと思うのだ。

 

 もちろん映画の中で言及されたヘラクレイトスの破片やポッツィの詩を読んでみるのも良いのだけれど、多分今のわたしにはハードルが高い。

 そこで。先ずは、イタリア人とロシア人の英語をたくさん聞いて慣れること。

 そして、フランス人に話しかけられたとき、せめてフランス語で「ごめんなさい」を伝えること。かろうじてでも投げ返すこと、ここから始めたい。Désolé, je ne parle pas français.と何度も練習をして。

 こんな一歩でもよいと思うのだ、あまりにも小さいけれど。小さすぎて、もはや祈りのような。でも、きっといつかこの一歩の積み重ねが、より豊かであったかい他者との関係性を享受できるように、それによって人生をより楽しめるように、してくれると思うのです。関係性も人生もエンジョイするために、ジャパニーズイングリッシュだって堂々と話して、毎日努めていきたいなと思っている。

 皆さんもよかったら是非キャッチ力を広げる」意識で、毎日何かしらやってみてください。優しい世界を作っていきましょう。

 大好きな作家が、愛は祈りだ、僕は祈る、なんて言っていましたが、これがわたしの祈りなのかもしれないなあと思う、またまた明け方です。

人種とか、言葉とか、世界のこと。

 留学

 という選択肢をとるに当たって。(誤解を恐れずこの言い方をすると)ほぼ単一民族国家である日本に20年間釘付けになって生きてきたので、多様なバックグラウンドを持つ人間とどうしても関わりたいという強い決意があった。

 選んだのは、スイスという国。留学するにはニッチなところだなというイメージがあるでしょう。あるいは自然豊かで物価高くてチーズ美味しくて、遊びに行きやがってと思われてるかもしれません。

 どれも間違っちゃいないのだけど、今日書きたいのは、この国の圧倒的なdiversity、つまり多様性について

 スイスは言わずと知れた多言語国家。公用語は4つ。独仏伊と地域語であるロマンシュ語。

 もちろん、公用語ではないが皆当たり前に英語も話す

 そして、欧州のど真ん中という立地ジュネーブに集う10以上の国際機関、無数のインターナショナルなNGO。

 どこよりも多様な人間が集うだろうと予想してジュネーブを選んだ。そしてそれは正しかった。

 

 まず、言葉の話。

 スイスにいる人は、本当に、びっくりするくらい多言語を操る。(ジュネーブ大学の翻訳学部が有名なので、大学に多言語話者が集うというのもあるけど。)

 わたしのような、「母語+英語のみ」の人間は、人数では最少。英仏と独、伊、西のどれかが話せるトリリンガルが体感ではいちばん多い

 翻訳学部の学生は平然と5、6ヶ国語を流暢に操る。特別長期間勉強しているわけではなく、(欧州の大学に在籍し日々学生の年齢層をみていて、学びに年齢は真に関係ないなとつくづく思うけれども、それでもやはり)ほとんどの学生はわたしと変わらない、19〜23歳だ。

(そのため、ここでは無論「一度も日本に行ったことがないのに、下手な日本人より日本語のうまい人間」に出会うことがしばしばあり、感嘆するとともにめちゃめちゃお世話になっていたりする。どうりで英語が上達しない。)

 

 どうしてこんなことになるのか。

 まず、スイス国内だけ見ても、国が独語圏、仏語圏、イタリア語圏に分かれており、彼らは引っ越しに伴って母語が変わる

 そして、加えてなんと両親の話す言葉が彼らの母国語と別だったりする。それも、母語として吸収することになるのだ。

(例えば、わたしのバディは、親はポルトガル人だけどスイス生まれのスイス人なので、ポルトガル語、仏語、英語、と日本語が少し話せる。といった具合だ。)

 

 次に、国籍と人種の話をしたい。

 まず、「スイス人」という存在について。

 もちろんスイスは国として存在しているわけなので、「スイス人」も自明に存在する。しかし、純スイス人(親もスイス人、スイス育ち)との遭遇率は驚くほど低い

 「スイス生まれだけど、親は〜人」と、「〜生まれだけど、ずっとスイスに住んでる」のパターンがめちゃくちゃに多いのだ。

 ここまでで、もう組み合わせが無限に生まれることがわかると思う。例えば、わたしのタンデムの女の子はスイス人。しかし、噛み砕いて聞けば、両親はウクライナ人、スイスの伊語圏生まれ、ジュネーブ(仏語圏)育ち、駄目押しで名古屋大に留学経験。つまり、露伊仏英日の5カ国話者である。

 そして、スイスは、人口の4分の1が外国人という国。ただ、大学が主な居場所だからか、Where are you from?で、Suisseが返ってくる確率は体感半分以下だ。EnglandとParisを合わせた数の方が下手したら多いかもしれない。(余談だが、皆出身は国名で答えるものだけど、イングランドとパリ出身だけは絶対にイングランドかパリと言ってくる。都会出身の意地なのかもしれないけど、最早ダサくて何だか可愛い。)

 日本の大学を考えれば、いかに雰囲気が違うかがわかってもらえると思う。ここでは外国人に対して「外国人である」という一線すらない。シェンゲンとエラスムスの圏内なのでボーダーの壁が極めて薄いのも相まり、外国人に対する敷居がないに等しい。

(そのおかげで、言葉の問題で輪に入りづらいことはあっても、アジア人、外国人だから排除されるようなことは一度も起こっていないし、なんなら9割方歓迎を受ける。個人的には、言葉の壁があってもなお、実は日本で新しい環境に入るときよりずっと生きやすかったりする。)

 

 ここまで肌の色に触れずに来たが、人種ももちろん多様だ。

 そして、ここが重要なのだが、人種と国籍は全く関係ない。まるでイメージと一致しない特にイギリス。英語が流暢な有色人種が来たらみんなイギリス人だと思うようになった(これもある意味偏見笑)。

 日本がグローバル化が云々、移民受け入れが云々と遅々とした会議を重ねている間に、もう外界はそんなところまで来ているのだと知った。

(このイメージというのが厄介で、これこそが偏見なわけだが、なかなか根深い。どう見てもアジアの顔に「ドイツ人だよ」と言われたときはReally!?と言ってしまったし、今考えればめちゃくちゃ失礼である。)

 

 

 長々と語って、つまるところ何が言いたいかというと、肌の色や言語で出身地を想定できないということ。

 とすると、これらの要素に一体何の意味があるのか?全くもって無意味だ。言語に関しては皆英語が話せるので問題ないし(大体わたしが一番できない)、スキンカラーや国籍が各々のアイデンティティとして作用することは無論重要だが、それを元に他人を判断することがどれほど迂闊で愚かな行為なのか、判断しているつもりなんてなかったけれども、にしても腹に突き刺さるような衝撃を感じざるを得ない。

 ただ、皆さんも同じだと思うのです。これを読んでいる人たちの中で、「〜人だから」と軽く侮辱したニュアンスで口にしたことがない人、どのくらいいるでしょうか?「アメリカの医者か、中国の医者」と言われて、アメリカの医者を迷わず選んだあなた、理由はなんですか?

 

 

 この国際都市に移住してからずっと考え感じ続けてきたテーマではあったが、今日わたしが夜更かしをしてまでこの記事を書いているのには理由がある。

 とある20人くらいの授業を取っていて、今日クラス後に先生と有志で観劇に赴いた。(この劇が各々の偏見を浮き彫りにするような内容で、触発されたというのもある。実は、上記の米中医者の二択も劇からの引用だ。)

 そして、直接的な動機は、その後劇場でしばらく飲みながら語らっていた、その場での出来事。

 皆ぱらぱらと帰宅しだし、最後に残った7人を見渡したとき。フランス出身が二人いたのを除けば全員母語が違っていることにふと気がついた。フランス、イギリス、スイス(独語)、アルゼンチン(西語)、ウクライナ(露語)、そしてわたし日本。

 気がついた、それだけ。でも、感極まってしまった。75億の人間が生きている地球で、わたしたちは世界中の各地で発生し、違う言葉を話して育った。その各々の生きる細い道が今、同じ点で交わっている、という途方もない確率の奇跡に、胸が熱くならざるを得なかった。毎日超多様な人間に囲まれて生活しているはずなのだが、膝を合わせて真剣な話をする過程で、そうだ、このために留学を選んだのだったと改めて思い出したのである。

 フランス出身の片方は、白人と黒人のハーフで、美人・お洒落・面白い、三拍子揃い踏みの、簡単に言えばいわゆるパリピ。でも、彼女が家族の故郷、ニジェールの内情を涙をにじませ真面目に語るのを見て、いかに自分が人を外面で判断しているのかを思い知った。

 いつも煙草とスマホを手放さず授業中気の利いたジョークを連発する、パリの中心街を闊歩していそうな女の子に、生き別れになった兄弟がいるなんて誰が想像できようか、と思いたくなってしまう。が、これがいけないのだと思う。

 ひと昔前だったら、こういうバックグラウンドを持つ人がこの街まで来られたかわからないし、わたしのようなアジアの隅っこの一般家庭の人間も欧州留学には来られなかっただろう。交わるはずのなかった線同士だ。

 だが、我々が生きているのはもう、そういう世界ではない。世界中で発生しうるありとあらゆるバックグラウンドを想定した上で、相手と向き合うべきなのだ。

 そして、彼女の話に対して、どうこう意見を言ったり、可哀想がったりする人がいなかったのも印象的だった。各々が各々の複雑なバックグラウンド、ストーリーを持っているからこそ、相手をあまりにも当然に尊重する文化が根付いている。絶対に誰もからかわないのは当然、踏み込まない、可哀想がらない。

 ただ目の前にいる相手を大切にするということがどういうことなのかを、その重み、難しさ、そして価値を、肌で知った。

 

 

 スイスは、人口800万人。その4分の1が外国人。

 世界の中で見ても、あまりにも小さい国だ。

 しかし内側を覗いてみれば、文字通り「Globe」を集約したようなグローバルワールドが広がっている。(今回は例としてあげなかったが、ここで最初に仲良くなったのは中国人のグループだし、ヒジャブをかぶった女性ももちろん頻繁に見かける。)

 「移民」とか「グローバリゼーション」とか、言葉でまとめてしまうとあんまりに簡素でこんなにも実状が伝わらないのだと日々感じる。日本にいると、無意識に「外の世界の話題」として捉えがちだが、実は近くにある問題、とかいうレベルではなく、もうこれは、今この世界に生きるわたしたち全員が経験している「事実」なのだ。

 世界中を移動できるようになったことで人生の選択肢が圧倒的に増えた。それによって、一人一人の人間が持つバックグラウンドは間違いなく多様化・複雑化している。本にいたときには気づけなかったことだった。知識として知っていても、グローバル化という言葉が何を意味するのかを全く理解していなかった。

 移民、て、日本では良いニュアンスが付随して報道されることはほぼないと個人的には感じるけれども、どうでしょう。

 ただ、人が大勢出身地から離れた場所に移り住んでいるのは、もう現象でしかなくて、良い悪いの価値はともかく変わりようのないただの事実だ

 そして、国単位で問題が起きており、そちらにテコ入れが必要なのは承知の上で、わたしは、個人レベルで見れば、これは人生において間違いなく利点だと思う住む場所の選択肢が世界中に広がっている。どこに住むもきみの、わたしの自由。これってすばらしいことだと思いませんか。置かれた場所で咲かないといけない、とかいう下らない枷がようやく外れ始めたのだ。それが大きな規模で起きているだけの話。

 2ヶ月目で早くも恩師と呼びたくなるような先生が今日、

「ぼくは9年前、きみと同じexchangeとしてこの街に来て、そのまま帰らずにまだここに居る。人生で最良の選択だったと思っているよ。」

 と、教えてくれた。ここから帰らないという選択肢なんて、考えたことさえなかった。なんて素敵な人間に教わっているんだろうと思った。胸が熱くなった。何を選んでも良いのだ、と言われた気がした。

 ここで生きていると、住む場所をはじめとして、日本ではなんだか勝手に自分の人生に対して無数の制約をかけていたんだなと気がつくポイントがしょっちゅう訪れる。自分の心の赴く方向に背くような要因なんていくらでも転がっていて、わたしたちはそれを言い訳にして自分の心の声を抑え込みがちだ。

 それを蹴散らして、責任持って、付随すること全部抱えて、覚悟を決めて、選ぶこと。そして、同じように選んで同じ場所に辿り着いた人たちの人生を何よりも尊重し、何よりもプレシャスなその時間を共にすること。

 それが、住む国からジェンダーから、ついこの間まで全く思い通りにならなかった何もかもを全て自分で選べる時間軸に生まれ落ちたわたしたちの使命なのかな、と思ったのである。

 

 

 

 これで今日のわたしの長い話はおしまいだが(もし最後まで読んでくれた方がいたら、本当にありがとうございます。外国に友人がたくさんいる方は何を当たり前のことと感じたと思いますがご容赦下さい)、ここからは蛇足。わたしの大好きな人が昔、「勉強、教養というのは、いつか出逢うめちゃくちゃ素敵な人間と語り合う一夜のストロベリーナイトのためのもの」と言っていたのを今日、人生何度目かに思い出した。交換留学の名で来ているのに、正直あまりにも勉強していない。今日だって、もしもっと英語とフランス語が話せて、国際情勢についてより深く知って考えてきていれば、より面白い話ができたかもしれない。涙を浮かべて語る彼女に対して輪の中で頷くだけでなく気の利いた返答ができたかもしれない。知っていたはずなのに、勉強の大切さをまた悔やむ形で思い知ってしまった。だが、わたしにはまだ帰国まで8ヶ月近く猶予がある。近々訪れるだろう次のエキサイティングな一夜に向けて必死で勉強しようと、ようやく思えた次第である。

所信表明

  春ではありませんが、あけぼのはどこの土地でも素敵なようです。

  盆地のジュネーブから見えるフランス領の山ぎはが明るくなる瞬間も、もちろん美しい。1000年経っても地球の反対側でも、人間の感性というのはそう変わらないのかもしれません。

  東京で学生をしていた数ヶ月前まで3限にも出られないような寝坊少女でしたが、スイスに越してからは異国の地、ひとり暮らしの緊張感のもと、0800からの授業に出るべくあけぼのタイムに起床して、清少納言の心地に浸ったりもしております。

  念願の脱東京といっても所詮は交換留学生の身分、1年間のタイムリミットは今日ものっそりと心の中に不安感になって寝そべっています。

  たった1年で何ができるのか、感じて考えられるのか、人生の次のステップに向けて何を残せるのか?と思ったときに、これまで書いてきた日記やら、SNSやら、文章を書く場所は統一しようと決めて、ブログを始めました。

  加えて、ブログにはテーマがないと面白くない!ということで、こんなタイトルをつけてみます。いつかイタイなあと思う日は来るでしょうが、ものを書くのはどう足掻いても羞恥心との戦いなので、もう仕方ありません。

  ということで、気が向き次第、琴線に触れたをかしな出来事を綴りたいと思いますし、もし気が向いた人がいたら読んでくれたら嬉しいんじゃないかなと思います。

  恥ずかしさが勝つかもしれませんが、まあそれもまた一興なのです。

 

 

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  大学前の朝焼けです。あけぼのタイムに起きると見られます。