ハイジの枕草子的備忘録

一介の女子大生がスイスからお届けします.

人種とか、言葉とか、世界のこと。

 留学

 という選択肢をとるに当たって。(誤解を恐れずこの言い方をすると)ほぼ単一民族国家である日本に20年間釘付けになって生きてきたので、多様なバックグラウンドを持つ人間とどうしても関わりたいという強い決意があった。

 選んだのは、スイスという国。留学するにはニッチなところだなというイメージがあるでしょう。あるいは自然豊かで物価高くてチーズ美味しくて、遊びに行きやがってと思われてるかもしれません。

 どれも間違っちゃいないのだけど、今日書きたいのは、この国の圧倒的なdiversity、つまり多様性について

 スイスは言わずと知れた多言語国家。公用語は4つ。独仏伊と地域語であるロマンシュ語。

 もちろん、公用語ではないが皆当たり前に英語も話す

 そして、欧州のど真ん中という立地ジュネーブに集う10以上の国際機関、無数のインターナショナルなNGO。

 どこよりも多様な人間が集うだろうと予想してジュネーブを選んだ。そしてそれは正しかった。

 

 まず、言葉の話。

 スイスにいる人は、本当に、びっくりするくらい多言語を操る。(ジュネーブ大学の翻訳学部が有名なので、大学に多言語話者が集うというのもあるけど。)

 わたしのような、「母語+英語のみ」の人間は、人数では最少。英仏と独、伊、西のどれかが話せるトリリンガルが体感ではいちばん多い

 翻訳学部の学生は平然と5、6ヶ国語を流暢に操る。特別長期間勉強しているわけではなく、(欧州の大学に在籍し日々学生の年齢層をみていて、学びに年齢は真に関係ないなとつくづく思うけれども、それでもやはり)ほとんどの学生はわたしと変わらない、19〜23歳だ。

(そのため、ここでは無論「一度も日本に行ったことがないのに、下手な日本人より日本語のうまい人間」に出会うことがしばしばあり、感嘆するとともにめちゃめちゃお世話になっていたりする。どうりで英語が上達しない。)

 

 どうしてこんなことになるのか。

 まず、スイス国内だけ見ても、国が独語圏、仏語圏、イタリア語圏に分かれており、彼らは引っ越しに伴って母語が変わる

 そして、加えてなんと両親の話す言葉が彼らの母国語と別だったりする。それも、母語として吸収することになるのだ。

(例えば、わたしのバディは、親はポルトガル人だけどスイス生まれのスイス人なので、ポルトガル語、仏語、英語、と日本語が少し話せる。といった具合だ。)

 

 次に、国籍と人種の話をしたい。

 まず、「スイス人」という存在について。

 もちろんスイスは国として存在しているわけなので、「スイス人」も自明に存在する。しかし、純スイス人(親もスイス人、スイス育ち)との遭遇率は驚くほど低い

 「スイス生まれだけど、親は〜人」と、「〜生まれだけど、ずっとスイスに住んでる」のパターンがめちゃくちゃに多いのだ。

 ここまでで、もう組み合わせが無限に生まれることがわかると思う。例えば、わたしのタンデムの女の子はスイス人。しかし、噛み砕いて聞けば、両親はウクライナ人、スイスの伊語圏生まれ、ジュネーブ(仏語圏)育ち、駄目押しで名古屋大に留学経験。つまり、露伊仏英日の5カ国話者である。

 そして、スイスは、人口の4分の1が外国人という国。ただ、大学が主な居場所だからか、Where are you from?で、Suisseが返ってくる確率は体感半分以下だ。EnglandとParisを合わせた数の方が下手したら多いかもしれない。(余談だが、皆出身は国名で答えるものだけど、イングランドとパリ出身だけは絶対にイングランドかパリと言ってくる。都会出身の意地なのかもしれないけど、最早ダサくて何だか可愛い。)

 日本の大学を考えれば、いかに雰囲気が違うかがわかってもらえると思う。ここでは外国人に対して「外国人である」という一線すらない。シェンゲンとエラスムスの圏内なのでボーダーの壁が極めて薄いのも相まり、外国人に対する敷居がないに等しい。

(そのおかげで、言葉の問題で輪に入りづらいことはあっても、アジア人、外国人だから排除されるようなことは一度も起こっていないし、なんなら9割方歓迎を受ける。個人的には、言葉の壁があってもなお、実は日本で新しい環境に入るときよりずっと生きやすかったりする。)

 

 ここまで肌の色に触れずに来たが、人種ももちろん多様だ。

 そして、ここが重要なのだが、人種と国籍は全く関係ない。まるでイメージと一致しない特にイギリス。英語が流暢な有色人種が来たらみんなイギリス人だと思うようになった(これもある意味偏見笑)。

 日本がグローバル化が云々、移民受け入れが云々と遅々とした会議を重ねている間に、もう外界はそんなところまで来ているのだと知った。

(このイメージというのが厄介で、これこそが偏見なわけだが、なかなか根深い。どう見てもアジアの顔に「ドイツ人だよ」と言われたときはReally!?と言ってしまったし、今考えればめちゃくちゃ失礼である。)

 

 

 長々と語って、つまるところ何が言いたいかというと、肌の色や言語で出身地を想定できないということ。

 とすると、これらの要素に一体何の意味があるのか?全くもって無意味だ。言語に関しては皆英語が話せるので問題ないし(大体わたしが一番できない)、スキンカラーや国籍が各々のアイデンティティとして作用することは無論重要だが、それを元に他人を判断することがどれほど迂闊で愚かな行為なのか、判断しているつもりなんてなかったけれども、にしても腹に突き刺さるような衝撃を感じざるを得ない。

 ただ、皆さんも同じだと思うのです。これを読んでいる人たちの中で、「〜人だから」と軽く侮辱したニュアンスで口にしたことがない人、どのくらいいるでしょうか?「アメリカの医者か、中国の医者」と言われて、アメリカの医者を迷わず選んだあなた、理由はなんですか?

 

 

 この国際都市に移住してからずっと考え感じ続けてきたテーマではあったが、今日わたしが夜更かしをしてまでこの記事を書いているのには理由がある。

 とある20人くらいの授業を取っていて、今日クラス後に先生と有志で観劇に赴いた。(この劇が各々の偏見を浮き彫りにするような内容で、触発されたというのもある。実は、上記の米中医者の二択も劇からの引用だ。)

 そして、直接的な動機は、その後劇場でしばらく飲みながら語らっていた、その場での出来事。

 皆ぱらぱらと帰宅しだし、最後に残った7人を見渡したとき。フランス出身が二人いたのを除けば全員母語が違っていることにふと気がついた。フランス、イギリス、スイス(独語)、アルゼンチン(西語)、ウクライナ(露語)、そしてわたし日本。

 気がついた、それだけ。でも、感極まってしまった。75億の人間が生きている地球で、わたしたちは世界中の各地で発生し、違う言葉を話して育った。その各々の生きる細い道が今、同じ点で交わっている、という途方もない確率の奇跡に、胸が熱くならざるを得なかった。毎日超多様な人間に囲まれて生活しているはずなのだが、膝を合わせて真剣な話をする過程で、そうだ、このために留学を選んだのだったと改めて思い出したのである。

 フランス出身の片方は、白人と黒人のハーフで、美人・お洒落・面白い、三拍子揃い踏みの、簡単に言えばいわゆるパリピ。でも、彼女が家族の故郷、ニジェールの内情を涙をにじませ真面目に語るのを見て、いかに自分が人を外面で判断しているのかを思い知った。

 いつも煙草とスマホを手放さず授業中気の利いたジョークを連発する、パリの中心街を闊歩していそうな女の子に、生き別れになった兄弟がいるなんて誰が想像できようか、と思いたくなってしまう。が、これがいけないのだと思う。

 ひと昔前だったら、こういうバックグラウンドを持つ人がこの街まで来られたかわからないし、わたしのようなアジアの隅っこの一般家庭の人間も欧州留学には来られなかっただろう。交わるはずのなかった線同士だ。

 だが、我々が生きているのはもう、そういう世界ではない。世界中で発生しうるありとあらゆるバックグラウンドを想定した上で、相手と向き合うべきなのだ。

 そして、彼女の話に対して、どうこう意見を言ったり、可哀想がったりする人がいなかったのも印象的だった。各々が各々の複雑なバックグラウンド、ストーリーを持っているからこそ、相手をあまりにも当然に尊重する文化が根付いている。絶対に誰もからかわないのは当然、踏み込まない、可哀想がらない。

 ただ目の前にいる相手を大切にするということがどういうことなのかを、その重み、難しさ、そして価値を、肌で知った。

 

 

 スイスは、人口800万人。その4分の1が外国人。

 世界の中で見ても、あまりにも小さい国だ。

 しかし内側を覗いてみれば、文字通り「Globe」を集約したようなグローバルワールドが広がっている。(今回は例としてあげなかったが、ここで最初に仲良くなったのは中国人のグループだし、ヒジャブをかぶった女性ももちろん頻繁に見かける。)

 「移民」とか「グローバリゼーション」とか、言葉でまとめてしまうとあんまりに簡素でこんなにも実状が伝わらないのだと日々感じる。日本にいると、無意識に「外の世界の話題」として捉えがちだが、実は近くにある問題、とかいうレベルではなく、もうこれは、今この世界に生きるわたしたち全員が経験している「事実」なのだ。

 世界中を移動できるようになったことで人生の選択肢が圧倒的に増えた。それによって、一人一人の人間が持つバックグラウンドは間違いなく多様化・複雑化している。本にいたときには気づけなかったことだった。知識として知っていても、グローバル化という言葉が何を意味するのかを全く理解していなかった。

 移民、て、日本では良いニュアンスが付随して報道されることはほぼないと個人的には感じるけれども、どうでしょう。

 ただ、人が大勢出身地から離れた場所に移り住んでいるのは、もう現象でしかなくて、良い悪いの価値はともかく変わりようのないただの事実だ

 そして、国単位で問題が起きており、そちらにテコ入れが必要なのは承知の上で、わたしは、個人レベルで見れば、これは人生において間違いなく利点だと思う住む場所の選択肢が世界中に広がっている。どこに住むもきみの、わたしの自由。これってすばらしいことだと思いませんか。置かれた場所で咲かないといけない、とかいう下らない枷がようやく外れ始めたのだ。それが大きな規模で起きているだけの話。

 2ヶ月目で早くも恩師と呼びたくなるような先生が今日、

「ぼくは9年前、きみと同じexchangeとしてこの街に来て、そのまま帰らずにまだここに居る。人生で最良の選択だったと思っているよ。」

 と、教えてくれた。ここから帰らないという選択肢なんて、考えたことさえなかった。なんて素敵な人間に教わっているんだろうと思った。胸が熱くなった。何を選んでも良いのだ、と言われた気がした。

 ここで生きていると、住む場所をはじめとして、日本ではなんだか勝手に自分の人生に対して無数の制約をかけていたんだなと気がつくポイントがしょっちゅう訪れる。自分の心の赴く方向に背くような要因なんていくらでも転がっていて、わたしたちはそれを言い訳にして自分の心の声を抑え込みがちだ。

 それを蹴散らして、責任持って、付随すること全部抱えて、覚悟を決めて、選ぶこと。そして、同じように選んで同じ場所に辿り着いた人たちの人生を何よりも尊重し、何よりもプレシャスなその時間を共にすること。

 それが、住む国からジェンダーから、ついこの間まで全く思い通りにならなかった何もかもを全て自分で選べる時間軸に生まれ落ちたわたしたちの使命なのかな、と思ったのである。

 

 

 

 これで今日のわたしの長い話はおしまいだが(もし最後まで読んでくれた方がいたら、本当にありがとうございます。外国に友人がたくさんいる方は何を当たり前のことと感じたと思いますがご容赦下さい)、ここからは蛇足。わたしの大好きな人が昔、「勉強、教養というのは、いつか出逢うめちゃくちゃ素敵な人間と語り合う一夜のストロベリーナイトのためのもの」と言っていたのを今日、人生何度目かに思い出した。交換留学の名で来ているのに、正直あまりにも勉強していない。今日だって、もしもっと英語とフランス語が話せて、国際情勢についてより深く知って考えてきていれば、より面白い話ができたかもしれない。涙を浮かべて語る彼女に対して輪の中で頷くだけでなく気の利いた返答ができたかもしれない。知っていたはずなのに、勉強の大切さをまた悔やむ形で思い知ってしまった。だが、わたしにはまだ帰国まで8ヶ月近く猶予がある。近々訪れるだろう次のエキサイティングな一夜に向けて必死で勉強しようと、ようやく思えた次第である。